大谷翔平の中学時代の球速は130㎞/h!小学校から中学・高校時代の野球の成績とエピソードを徹底調査!

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大谷翔平さん、メジャーで大活躍でいつも注目されていますね。

今回は大谷翔平さんの学生時代の野球の成績をご紹介します。

大谷さんは小学生、中学生の頃から規格外の運動能力を発揮していました!

<この記事でわかること>
●大谷翔平の高校時代の野球の成績
●大谷翔平の高校時代の故障
●大谷翔平の中学時代の野球の成績
●大谷翔平の小学校時代の野球との出会い

ぜひお読みください!

目次
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大谷翔平の中学時代の球速は130㎞/h!

中学時代の大谷翔平さん
中学時代の大谷翔平さん

大谷さんは中学の入学時点で球速は120㎞/hを超えていましたが、中学3年生では130㎞/h以上だったそうです。

<大谷翔平の中学時代>
身長:165cm(中1)→188cm(中3)
球速:120㎞/h(中1)→130㎞/h以上(中3)

球速の伸びもすごいですが、身長の伸びもすごいですね!

中1で165cmか、私の身長なんて…(泣)

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大谷翔平の小学校から中学・高校時代の野球の成績とエピソードを徹底調査!

大谷翔平さん
大谷翔平さん

大谷翔平さんの小学生時代から中学・高校時代の野球の成績やエピソードをご紹介します。

大谷翔平の高校時代の野球の成績

大谷翔平の高校1年:球速147㎞/h

大谷翔平さん
大谷翔平さん

大谷翔平は1年生でベンチ入りしました。

<大谷翔平の成績>
高校1年夏
岩手大会の盛岡中央戦に1イニングに登板して無失点
1打数1安打(試合は完封負け)

高校1年秋
エースになる
岩手県大会ベスト4
球速:147㎞/h

高校1年春
岩手県大会優勝

1年生の夏は、岩手大会4回戦の盛岡中央戦で、1イニングに登板し無失点で抑える。さらに、1打数1安打と結果を残したが、試合には、0対8で完封負けを喫した。秋になると、大谷はエースを任され、秋季岩手県大会ではベスト4。進んだ秋季東北大会1回戦では、学法福島戦で最速147キロをマーク。

侍JAPAN公式サイト 侍ジャパン代表選手×高校野球/大谷翔平選手、花巻東時代に2度の甲子園出場、故障を乗り越え160キロ到達!

1年でベンチ入りってだけでもすごいのに…。

さすが大谷さんですね。

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大谷翔平の高校2年:球速150㎞/h

高校時代の大谷翔平さん
高校時代の大谷翔平さん

大谷翔平さんの高校2年は、故障との闘いでした。

大谷翔平さんは高校2年の6月に股関節の痛みを感じ、坐骨結節の骨端線損傷と診断されました。

坐骨結節は骨盤を形成する骨盤の寛骨という骨の一部で、ハムストリングス(大腿二頭筋・半腱様筋・半膜様筋)が付着している部分です。

そのため夏以降は痛み止めを飲んで、野手として出場しています。

<大谷翔平の成績>
高校2年夏
岩手県大会優勝
甲子園初戦の帝京戦に4回途中から登板、2失点し試合は7対8で敗退
球速:150㎞/h

高校2年秋
岩手県大会優勝
東北大会ベスト4

高校2年春
選抜高校野球の初戦で大阪桐蔭と対戦するも9対2で敗退
投手とし出場し9失点
藤浪晋太郎からホームランを打つ

怪物の春が、あっけなく幕を閉じた。第84回選抜高校野球大会(甲子園)が開幕し、花巻東(岩手)が大阪桐蔭に敗れた。「ビッグ3」の1人、大谷翔平投手(3年)が8回2/3を7安打9失点(自責5)。打っては先制本塁打を放ち、投げては最速150キロを計測し、11三振を奪ったが、7カ月半ぶりの公式戦登板で11四死球と制球が乱れた。

日刊スポーツ 大谷11四死球9失点で初戦敗退/センバツ

大谷翔平さんは故障後、ケガの回復につとめました。

<回復のために大谷がやったこと>
●睡眠時間の確保
●食事量を増やし体重を増加させる

この時に大谷さんの体重は20㎏も増えたそうです。

春の選抜では投手として出場しました。

しかし、故障後に実戦で投げたのは79球が最高で、6回あたりから握力がなくなってきてしまい、9失点という悔しい結果となりました。

大谷翔平の高校3年:球速160㎞/h

高校時代の大谷翔平さん
高校時代の大谷翔平さん

大谷翔平さんは、高校3年の夏に岩手県大会の決勝で敗れ、甲子園に行くことはできませんでした。

<大谷翔平の成績>
高校3年夏
岩手県大会、準決勝で球速:160㎞/hを計測
決勝で盛岡大附属高校に5対3で敗退

第25回IBAF 18U世界野球選手権大会
初戦のカナダ戦に先発するも3失点で3回途中で交代
5位決定戦の韓国戦で12奪三振

高校生最速の160キロ右腕、花巻東・大谷翔平(3年)の夏が終わった。決勝の盛岡大付戦に先発。毎回の15三振は奪ったが、0-1の3回に県内の公式戦で初めて本塁打を浴びるなど、8回2/3を投げて9安打5失点(自責5)。

日刊スポーツ 5失点涙…大谷もう見られない/岩手大会

大谷さんも「高3の夏に甲子園に出場できなかったことが心残り」と語っています。

チームメイトには東日本大震災で家族を亡くされた方もいて、励まし合いながら練習されていたんだそうです。

それは悔しかったろうな…。

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大谷翔平の中学校時代

大谷翔平さんは、中学時代は一関リトルシニアに所属し、エースとして全国大会に出場しています。

<一関リトルシニア>
設立:1970年
解散:2018年

大谷翔平さんは場外ホームランで信号機を壊した、危険だからピッチャーライナーが禁止されていた、逸話も残しています。

「福島県相馬市の沿岸部にある野球場でした。翔平が放った打球は場外に飛び出し、道路の歩行者信号を直撃し、ぶち壊してしまいました。のちに球場があった場所は、東日本大震災の津波でみんな流されてしまいましたが…」

東スポ 大谷翔平 父が目撃した少年時代の場外弾「歩行者用信号機をぶち壊してしまいました」

大谷翔平さん、体格も運動能力も中学と言うレベルじゃないですよね。

本当に子供の頃から規格外だったんだなぁと思います。

大谷翔平の小学生時代

小学校時代の大谷翔平さん

そんな大谷翔平さんが野球に出会ったのは、小学校2年生の秋にリトルリーグの見学に行った時です。

<大谷翔平の入部したリトルリーグ>
水沢リトルリーグ

すぐに入部を決め、父親も同時に監督となりました。父親とはノートで交換日記もしていました。

その中で父親が伝え続けていたことはこの3つの点です。

<大谷翔平の父の教え>
●大きな声を出して、元気よくプレイする
●キャッチボールを一生懸命に練習する
●一生懸命に走る

父親のこの教えはメジャーリーガーとなった大谷翔平さんの心にも「いつどのステージに行っても言われ続けること」と刻まれています。

大谷翔平さんは、父親が監督だったので「圧倒的な実力がなけれないけない」とも語っています。

大谷翔平
(父親が監督なので)自分の息子と同じ実力だったら息子ではない子を試合で使わないといけないと思う。
だから息子である自分が試合に出るためには圧倒的な実力がなければいけない。

僕が監督だったとしてもそうだと思いますが、同じぐらいの子が自分の息子と同じ実力だったら、息子ではない違う子を試合で使わないといけないと思うんです。それは当たり前のことというか。だから、息子である自分が試合に出るためには圧倒的な実力がなければいけない。チームのみんなに納得してもらえる実力がなければいけない。

東洋経済ONLINE 大谷翔平が今も大切にする、父の「3つの教え」

大谷さんは小さいながらも、ちゃんとやらなきゃいけないということをよく理解し、練習に励んだそうです。

水沢リトルでの成績

水沢リトルリーグ時代、大谷翔平さんは投手で3番を打っていました。

野球を始めて2年目の小学3年生の時には、もうホームランをよく打つようになっていました。

東北の6チームのホームラン競争では、小6で15本中11本の柵越えで見事に優勝したこともあるそうです。

そして小6の身長は167cm!

水沢リトルのグラウンドの両翼は65メートル。小3から練習中の本塁打が目立ち始め、時に右翼後方を流れる胆沢川を越えて100メートル近く飛ばすこともあった。浅利さんや保護者らは、大谷のスプラッシュ弾を探すのが一仕事だった。

スポーツ報知 大谷翔平が覚醒した小6のホームラン競争 水沢リトルの恩師確信「必ずプロに行く」100m近く飛ばすことも

他のチームの選手のホームランは3本くらいだったそうなので、やはり大谷さんは小学生の頃から桁違いにすごかったんですね。

でもきっとそれは大谷さんが努力したからなんでしょうね。

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大谷翔平の中学時代の球速と小中高時代の野球の成績のまとめ!

<大谷翔平の野球の成績>
●高校時代

高2で甲子園出場するも初戦敗退
高2はケガもあり
高3で160㎞/h出すが岩手県大会決勝で負け甲子園には出場せず

●中学生時代

一関リトルシニアに在籍
中3で130㎞/h以上
場外ホームランで信号機を壊した

●小学生時代

水沢リトルリーグに在籍
ホームラン競争で優勝

大谷翔平さん、小学生時代・中学時代から野球ではかなり規格外の体格と能力でしたね。

これからの大谷翔平さんの活躍も楽しみです!

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