柴田晋太朗の病気の骨肉腫って?闘病を支えた中村俊輔や恩師らとのエピソードを紹介!

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24時間テレビで高校時代に骨肉腫となり、現在はフットゴルフの選手として活躍している柴田晋太朗さん。

その柴田晋太朗さんが発症した骨肉腫とはどんな病気なのか?

柴田さんの骨肉腫の経緯や柴田晋太朗さんの闘病を支えた中村俊輔さん、チームメイトの仲間、恩師である監督とのエピソードをまとめてお伝えします。

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目次
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柴田晋太朗の病気の骨肉腫って?

柴田晋太朗さん
柴田晋太朗さん

柴田晋太朗さんは17歳の時に右上腕骨肉腫を発症しました。

<骨肉腫とは>
発症年齢:10歳代が多い(しかし3割は40歳以上でも発症)
好発部位:大腿骨、脛骨、上腕骨など
症状:痛み・腫れ・骨折
転移:肺や他の骨への転移が多い

柴田晋太朗さんの症状は「肩が重い」ということから始まりました。

<柴田晋太朗の骨肉腫の経緯>
2016年初夏:右肩周辺に「なんだか重い」という違和感を感じる

2016年夏:「重い」から「痛い」に症状が変化。痛み止めを持って韓国遠征に行くも、激痛がはしる。
帰国後、「右上腕骨肉腫」の診断を受ける

2016年9月:抗がん剤治療開始

2016年12月:手術を受ける(右上腕人工骨置換術)

2017年8月:肺への転移が見つかる

2018年5月:肺の一部を切除する手術を受ける

日、病院に行って生検手術を行い、主治医から病名を悪性上腕骨肉腫と正式に告げられた柴田さんは、すぐに「サッカーは続けられますか」と尋ねてみた。

主治医は一言、「この病気を治せばサッカーは続けられる」と言ってくれた。

その言葉を聞いて「絶対治して見せる」と決意が固まった。

がんサポート 骨肉腫を生きるための軸にしない プロサッカー選手を目指していた17歳の夏に発症

柴田晋太朗さんは抗がん剤治療のあと、試合に復帰していますが肺の転移をきっかけにサッカーから引退しました。

柴田晋太朗さんのサッカーの経歴についてはこちらの記事をお読みください。

▷▷柴田晋太朗のプロフィールとサッカーの経歴は?フットゴルフの成績も紹介!◁◁

その後「英語を習得し、海外でも活躍できる人間になる」というあらたな目標を立て、Lakeland University Japan Campusに入学しています。

現在はフットゴルフの選手として活動すると共に、講演活動も精力的におこなっています。

闘病を支えた中村俊輔・仲間・恩師とのエピソードを紹介!

チームメイトたちと柴田晋太朗さん
チームメイトたちと柴田晋太朗さん

柴田晋太朗さんの闘病を支えたのは、憧れの存在である中村俊輔さん、チームメイト、恩師の佐藤監督の存在でした。

中村俊輔のサプライズ

中村俊輔さんと。
中村俊輔さんと。

柴田晋太朗さんが抗がん剤治療の入院中に、中村俊輔さんが来てくれることがありました。

柴田晋太朗さんにとっての中村俊輔さん
憧れの存在
同じレフティーで目指すべき存在

中村さんは病室に3時間くらいいてくれて、フリーキックのコツなど柴田晋太朗さんの質問にいろいろ答えてくれたそうです。

それまでチーム外では認められてもチーム内ではあまり認められていなかった柴田さんは中村さんの言葉でこう考えるようになったそうです。

中村俊輔の言葉で柴田晋太朗が感じたこと
その環境で自分が気づいて、するべきことをしないとだめだ。
それまでは自分がひたすら上手くなればいいと思っていた。
監督の考えやチームのスタイルに合わせる努力もしなければならない。

中村俊輔さんは柴田晋太朗さんにユニホームをプレゼントしてくれて、「治ったら一緒にサッカーをしよう」という言葉もかけれくれました。

闘病中の柴田さんにとって、中村俊輔さんが病室にいることだけでも最高だったそう。

このサプライスが、柴田さんにとってどれだけ大きな励ましになったでしょうか。


 同級生たちは昨秋、抗がん剤治療に臨む柴田のために全員が丸刈りになってお見舞いに行くというサプライズ。家族やチームメートをはじめ、コーチングスタッフ、医師ら多くの支えを柴田は実感していた。横浜FMプライマリー出身の柴田のために、恩師の西谷冬樹監督(現横浜FMユース監督)やFW齋藤学、現磐田のMF中村俊輔も柴田の激励に駆けつけてくれたこともあったのだという。

ゲキサカ 病気との苦闘乗り越え、勇気をくれた仲間を必ず全国へ!思い結実の日大藤沢が神奈川予選突破!!

この経験によって、柴田さんは「誰かにこの恩を返したい。伝えていきたい」と考えるようになりました。

柴田さんの考え
人々に感動と希望を与える人間になる
誰かの憧れの人間になる
そのためには歴史に名を残すようなことをしなければならない
病気であってもそうじゃなくてもチャレンジしたい

そういう気持ちで講演活動を続けています。

中村さんの引退の時に柴田さんは「あらゆる形で支えてくれた。今私が生きているのは彼のおかげ」とコメントしています。

仲間の存在

お見舞いに来てくれたチームメイトと。
お見舞いに来てくれたチームメイトと。

柴田さんの闘病を支えてくれたのは、チームメイトである仲間の存在です。

同学年のチームメイトがお見舞いに来てくれた時、彼らは丸坊主で来てくれたそうです。マネージャーも髪を短く切っていたそう。

それで柴田晋太朗さんは「もう死ねない!やるしかない」と思いました。

チームメイトは髪のない柴田さんを普通にいじってきました。

柴田さんは病気の前と後とで接し方の変わらなかったこと、遠慮なく普通に接してくれたことで今の自分があると考えいます。

やはり印象的なのは闘病がいざ始まる!って時に訪れた見舞い客ですね。同学年のチームメイトが、髪がなくなる私にサプライズで「全員坊主」にして登場してくれました。マネージャーも髪を短く切って気持ちを添えてくれました。そんな彼らを見て胸の内で、「こんなことしてくれたらもう死ねないやん!やるしかないな」と気持ちが動いたのを今でも覚えてます。

あなたのみらいを見つけに行こう 部活動と闘病~遠慮なく普通に接してくれた人たちがいたからこそ、今の自分がある~

また別の機会ですが、お見舞いでシューズのプレゼントもありました。

これは部員全員がお金を出し合って1番高いシューズを買ってくれたのだそう。

このシューズは柴田さんの宝物になりました。

恩師の言葉

柴田さんを肩車する佐藤監督
柴田さんを肩車する佐藤監督

日大藤沢の佐藤輝勝監督は、柴田晋太朗の練習や試合はもちろん、闘病もずっと見てきてくれました。

佐藤監督は柴田さんの復帰試合の前に腫瘍が肺に転移していることを知らされていましたが、「お前がやるならそれを助ける」と試合に出たいという柴田さんの希望を叶えてくれました。

その佐藤監督が柴田晋太朗さんの卒業式にかけた言葉はこちらです。

お前らしく突き進め

柴田さんがどんなに練習を頑張ってきたか、どんなに治療に耐えてきたかをよく知っている監督だからこその言葉ですね。

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柴田晋太朗の病気の骨肉腫と闘病を支えたエピソードのまとめ!

<骨肉腫とは>
発症年齢:10歳代が多い(しかし3割は40歳以上でも発症)
好発部位:大腿骨、脛骨、上腕骨など
症状:痛み・腫れ・骨折
転移:肺や他の骨への転移が多い

柴田晋太朗さんは17歳で骨肉腫と診断されました。

その闘病を支えたのは、憧れの存在である中村俊輔さんやチームメイト、監督など多くの人々です。

柴田晋太朗さんは、闘病で得たことや誰かから励まされたことを、伝えたい、誰かに返したいと講演活動をしています。

これからの柴田晋太朗さんの活動を応援します。

柴田晋太朗のプロフィール

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